″舌禍″と政治家の能力

投稿者: | 2018年9月19日

〝倉石発言″によって、国会の機能がすでに十日以上にわたり、完全マヒ状態に陥ってしまった。

これは佐藤内閣の基本的性格につながるものであるとともに、現在の政治、さらにその背景になっているいまの日本のあり方と切り離すことのできないものである。

いまの日本には、各種のタブー(禁忌)がある。しかもその大部分は、それが発生したときのようなナショナル・コンセンサス(民族的合意)の裏づけが失われるか、あるいは禁忌力が弱められて、ある程度常識化されているものである。

戦後、日本に発生したタブーのおもなものは、まず第一に原爆、ついで憲法改正、再軍備からベトナム戦争につづく一連の〝平和思想″につながるものである。

戦時中の日本にも多くのタブーがあった。それは天皇制をはじめ、反戦、反東条、共産主 義、自由主義など〝聖戦完遂″の妨げとなる一切のものであった。

このタブーにたいする国民の抵抗がないではなかった。それも戦争の末期に近づいてくると、この抵抗が底流となって普及し、いつのまにか〝もう一つの常識″ともいうべき形をとって、大衆の間に定着していった。そしてとくに戦争の最高責任者である東条英機個人に集中されていった。

戦時中、防衛総司令部につとめて広報関係の仕事を担当していた私の友人の話では、ドウリットル機によって東京がはじめて爆撃を受けたとき、防衛総司令部に投書が殺到した。そのなかで最高の〝傑作″と見られたのは、「米機よりも英機」というのであったという。むろん、こんなものは公表できるものではなかったが、これを〝傑作″と認めるようなムードが防衛総 司令部自体のなかにまであったという事実を見のがすことができない。

当時、戦意を失いつつある国民大衆の士気を鼓舞するため、中央から地方へ多くの人を送ったが、北陸のある県庁では、中央の一行を歓迎するため、海上に船を浮かべて宴をはった。陸上の料亭はほとんど閉鎖に近い状態にあったからだ。

酒が回るにつれて、船内の一人(県庁の高官)が、「いまの時世は東条まかせ、あとのしまつはおれがする」とうたいだすと、中央一行も、地方代表も、いっせいにこれを合唱したという。

タブーにたいする底流

当時はこれに似た歌が、全国各地で自然発生的につくられ、うたわれていたのであるが、これは〝東条″という最高のタブーにたいする国民の抵抗であり、冒とくであった。厭戦思想の底流が、こういう形で明るみへ出たのである。一つには、海上のことで、東条の手にある権力体制を代表する憲兵(こういう場合に警察は県庁とつながっているから、恐ろしくはない)の目や耳がどこにもないと見たからであろう。

もしもこの場合に、新聞記者がこの船に乗り込んでいて(おそらく彼も率先してこの唱に 加わったに違いない)、後にこれを埋めくさのような形で記事にし、それが東条もしくはその目にふれたとすれば、たちまち大問題となり、時局の重大さを認識しないものとして、国をあげての大弾劾を受け、この歌ををうたいだしたものは〝非国民″として懲戒免官となり、 同船していたものまで罰せられるという大事件に発展したかもしれない。こんどの〝倉石発 言″はこれによく似ている。これを裏返しにしたようなものである。

佐藤内閣のケイレン?

戦時中のタブーは、主として東条という最高権力とつながっていたが、戦後のタブーは「戦 争も原爆も軍備もまっぴらごめんだ」という平和への〝念願″とつながっている。それが戦後の国民感情の最大公約となった。禁忌力の強さにおいては、戦時中のタブーにまさるとも劣るものではなかった。法律的禁制の裏づけを持たないが、それだけにかえって、これをおかしたものへのリンチ的制裁力は強いともいえる。

そのいい例が、朝日新聞の「声」欄に表れた竹山道雄氏の『ビルマの竪琴』事件である。いうまでもなく、この作品は、こんどの戦争が生んだ最大のヒューマニズム文学として高く評価 されているものである。それがたまたま、作者がエンタープライズ号の寄港に賛成の意見を公表したというので、たちまち平和主義的世論のふくろたたきにあい、ついに『ビルマのたわごと』(朝日新聞「声」欄の「かたえくぼ」ということになってしまったのである。おそらく竹山氏個人の心情は、『ビルマの竪琴』を書いたときも、エンタープライズ号の寄港に賛成したときも、そうたいして変わっていないのであろう。

どうしてこういうことが起こったかというと、まずこのタブーの性格が変わったのである。 原爆反対からベトナム戦争をめぐって反米に達する一連の平和思想のなかに分解作用が起 こり、それが反体制的政党とつながって、政治的なキャッチ・フレーズに近いものとなったため、これに反発する人が出て、それがマスコミにとりあげられ、そのタクトに踊らされ、シュプレヒコールに似た反撃をくったのである。

〝倉石発言″をはじめ、〝下田発言″〝灘尾発言″〝牛場発言″など、一連の〝発言シリーズ″は、自民党内およびこれに同調する人びとの間では、もはやタブーではなくなって、常識に近いものとなっていることが、まだタブーとして生きていることに気がつかなかったことからきているのだ。

この種の〝舌禍″は、腹にもないことを口に出したから起こるのではなく、腹にあることをおさえ、腹にもないことを口にするという、政治家にとくに必要な能力の点で、欠けるところがあったことから起こるものである。最近、これが頻発するというのは、佐藤内閣の体質、そ の二重性格からくるケイレンのようなものである。

(昭和43年2月25日)